初めてうちの子になってから3年半と月日が経つのも早いものです。
とにかく昼も夜もわからない仔猫のうちは言葉で何度も伝えていたので、
何を言っているのだろう?
などと傾げている表情ばかりが今でも脳裏にやきついてます。
愛猫の伝え方のひとつとして一番わかりやすいと感じている事は
例えばたくさん遊んだ後など猫じゃらしなどで、じゃれて遊んでいるケースなど
特に成長期のひとつとも言える甘噛みです。
これには歯が生えはじめると必然的に人間も動物も同じケースが言えるかもしれません。
歯が痒くなり噛みたくなる心境などは何度でも噛みたくなります。
噛みたくなるグッズには
ペット専門のショップやホームセンターなどに陳列されているほどです。
しかし噛まれる側からしてみれば、これには本当に痛い。
だからこそ表情に出して「痛いよ!痛いよ!」とかがみながら態度で示す
と柱の影に隠れながら、まだ幼いあどけなさの表情で
やってしまった。どうしようかなと困り顔。
最終的にはどこかへ隠れてしまうほどなのである。
そのような色々な日常生活を送る中で仔猫のうちは、
たくさんの単語を覚えてが人間観察し名前はもちろんのことであるが
特に猫の観察する能力は人間以上である。
共に生きる
まだまだ飼い猫にゃーシーの見習い主とファミリーの見習いキャットは
共に色々な現場で失敗や体験を繰り返す。
更に互いの猫語や人間の言葉を覚える中で自然と仲間意識が芽生える
普段の行いを互いに認めながら役割分担へと変化していくのである。
例えば愛猫自身の爪切りには必ずオヤツつきから朝のブラッシング習慣の生活リズムまで
この生活リズムが決まれば、互いに認め会い絆も深くなるからこそ
言葉が無くても自然と何がしたいのか、もしくは何をしてもらいたいのか
わかる互いの絆である。そのこころは人間だと思っているかもしれません。
やれる事はやるが、頑張り過ぎない生き方
この言葉を聞いた時には誰もが安心感を覚える。
だが、これには事が済んだ時もしくは災難が去った後の言葉であろう。
例えば生きるか死ぬかと瀬戸際に立たされた時
人はそんな戯言は言ってられない言葉である。
普段使いとしては正しい意味ではないでしょうか。
この言葉を使い続けて生きていきたいのであれば
災難にならない為に備えておくべき上手な生き方が一番であろう。